Zi Bo
シハク/ズーボー
緇博
臨緇(リンシ)を含む
地図は 来来中国自作
山東省地図 日本語版
2007年青島と済南間の新幹線「動車」が開通。2012年済南を中枢に北京上海間
の高速新幹線「高鉄」が開通された。緇博駅
や青州を経由して北京、上海へ。 新幹線 青島緇博 (1.5時間) 済南緇博 (40-50分) |
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注:
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青島案内人
www.an-nai-nin.com は、 正規観光バス会社のバスのみ利用します。 青島市内から280キロ、3.5時間。済南市内から120キロ、1.5時間。 斉の都 臨緇までは、バスで青島から250キロ、3時間弱。済南から150キロ、2時間。 |
緇博市(しはくし)は山東省中央部に位置する地級市。済南と維坊の間。陶磁器の都(陶瓷之都)・絹織物の里(刺繍の郷)として有名である。、四季がはっきりし、年平均気温は11,9〜13,1℃、年平均降水量は500〜800mm。
張店、博山、周村、臨緇、緇川の五つの区と桓台、沂源、高青の3県を管轄しています。
春秋戦国時代(紀元前11世紀から紀元前3世紀)に繁栄を誇った国家斉の首都があった。漢代から唐代にかけて繁栄したシルクロードで取引された絹織物は、この地域を主要な生産地とするものであった。今日でもなお絹織物生産の重要な拠点である。
近代以降は山東省をこえて全国規模で見ても有数の工業都市として発展してきた。石油化学・陶磁器(セラミックス)などが主な産業である。
工業都市・交通の要所。国家歴史文化名城に指定されている。春秋時代の斉、および戦国時代の斉(田斉)の首都があった。
土壌が痩せていて農耕に適さないことから、製鉄、銅の精錬、陶器製造、織物など工業を中心とした街づくりが進められた。桓公の時代には、宰相管仲によって都市整備がなされ、当時屈指の工業都市となった。城は王の住む小城と住民の住む大城が連なり、周囲21km、面積は15平方kmだった。城内には井の字型に大路が走り、排水などの都市機能も完備されていたことが、今に残る都城跡から確認できる。
前漢時代には劉邦が息子を斉王に封じて臨しを拠点とし、人家十万戸を数え依然中国東部最大の都市のひとつである。しかし西晋時代以降は相次ぐ戦乱により衰退、元の末期になると古くからの都城はついに放棄され、現在の市街地は東南に作られた。西には、“天下第一村”といわれる周村が、“シルクロードの故郷”であり、紡織工業基地として、歴史上の商業の町を再現している。
勝利油田の開発以降、臨しは新興工業都市として復活した。
臨緇(臨シ、リンシ)を中心に、斉国遺跡や博物館を紹介
(臨緇) 斉国歴史博物館
入場料:40元
斉国歴史博物館外観
入口 斉という文字の由来
鎮館の宝
春秋五覇
斉国歴史博物館は古城の形の歴史博物館。中国十大奇形博物館の一つ、斉国800年間の輝かしい歴史および文化を展示する。文物陳列館は中心部分である。展示室は一階と二階に設けられ、基本陳列は十室ある。臨緇地区出土文物を手掛かりとし、斉国の春秋時代から漢の時代までの歴史と重要文物を集中展示している。斉国歴史、文化を研究するには重要な役割を果たしている。
(臨緇)
中国古車博物館
入場料:30元
山東省はじめての高速道路、済青高速建設中に偶然に「古車古馬」が発見された。その場で保護し、高速道路の下で古車博物館を建設。1990年全国十大考古発見の一つである後李春秋殉車馬を元に建てられた博物館で、建築面積が3600u。当博物館は春秋殉馬車展示ホールと 中国古車陳列展示庁に分けている。当博物館が展示している古代車の復原は中国古車研究成果の集大成とも言え、充分に中国馬車の悠久歴史と馬車の作る技術が世界車両発展歴史での地位を表している。青島〜済南の高速道路移動途中見てはいかが。
(臨緇) 殉馬坑
ジュンバコウ
入場料:10元
1964年にたくさんの古馬が発見された。1982年に展示室が作られ、発掘された106頭の馬が展示。斉国歴史博物館から車で15分
の場所にある。春秋期の斉国君主の墓地で、墓室南北26m、東西23m、南の墓道長さ18m、幅約12m。殉馬坑は墓室の東・西・北三面にあり、東西長さ各70m、北面長さ75m、幅5m、三面がつながり、一体となる。全長215m。殉馬の配列密度は平均2.7〜2.8頭/m、この密度から推察すると、殉馬は全部600頭以上埋蔵される。この墓の主は馬・犬を集めた春秋時代の景公(紀元前547--490年)ではないかと推測される。
(臨緇) サッカー博物館
(足球博物館 蹴鞠博物館) 入場料:10元
臨緇足球サッカー博物館
昔のサッカー試合
唐代サッカー。日本の蹴鞠の原型
来来中国 www.lailaichina.com特別手配 蹴鞠ショー
「サッカーの発祥地は中国」と2004年からFIFA(国際サッカー連盟)は公開的な場所で何度も述べ、「サッカー発祥に関する専門家論証会」は2004年6月10日に山東省の臨緇で行った。
中国古代の蹴鞠(けまり)が春秋戦国時代に斉国の首都−臨淄で発祥したと論証会の専門家たちは一致に結論された。
春秋戦国時代の斉国は春秋五覇の筆頭、戦国七雄の一つである。その時に斉の首都―臨緇が手工業と商業が発達した全国最大の工業商業都市である。それで蹴鞠運動発祥の条件などが備えた。≪史記≫に“臨緇甚富而實・・・・・・,其民無不吹竽、鼓瑟、撃築、闘鶏、走犬、六博、踏鞠者”。と記載してある。
臨緇サッカー博物館は2005年に建設。面積が2500u、二階建てで、古代サッカーと現代サッカーの二つの部分からなっている。日本へ伝わった蹴鞠も紹介。
中国で初めて全面的に蹴鞠とサッカーの二千年の沿革歴史及び発展風貌を展示する専門博物館。ここの見学は
来来中国 www.lailaichina.com 蹴鞠ショーの特別手配ができる。
(臨緇) 斉国古城壁遺跡 入場料:無料
斉故城遺跡が臨緇区辛店鎭北7キロに位置している。西周初年太公望が斉国に封されて、営丘(今臨緇)が都を治め、後世齐胡公は都が蒲姑(今博興)
に遷都した。臨緇は、斉の政治、経済、文化センター、中国最大の都市の一つで、人口は約50万人にのぼっている。城壁の残垣もちゃんと保存され、築跡の跡がまだはっきり見える。この遺跡を傷させないように、1982年にその上に角型壁式レンガ室が建てられた。
2012年、周辺の道路が改修され、行きやすくなった。
(シ博) 蒲松齢故居及び聊斎園 入場料:40元
ホラー映画 霊験道士・キョンシーなどの台本
岩波少年文庫版 聊齋志異
角川文庫版 聊齋志異
蒲松齢彫刻
蒲松齢の手稿
蒲松齢(1640年〜1715年)は字が留仙、、文才に優れ、若いころ県試・府試・道試にすべて首席合格して秀才となった。しかしその後の科挙にはことごとく落第してしまって、憂鬱な人生を送った。40歳の時には12巻・490余篇に及ぶ志怪小説『聊斎志異』が完成された。蒲松齡はほかに詩、詞、散文、俚曲を多数創作した。
聊齋志異(りょうさいしい、聊斎志異 日本では中国怪異譚とも)は、中国の清代の短編小説集。作者は蒲松齢。聊齋は作者の号および書斎の名であり、『聊齋志異』とは「聊齋において怪異譚を記す」の意味。内容は神仙、幽霊、狐狸の怪異譚で、当時世間に口伝されていたものを筆記してまとめたものである。 江戸時代の後期に日本語に翻訳され、そのほか、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語にも翻訳されて、世界でも有名な短編小説集になった。
蒲松齢故居は緇川区蒲家荘にあり、数百年間には、何回も修復された。静かな庭園で、「蒲松齢故居」という扁額は郭沫若先生に書かれたのである。北側の庭にある部屋は蒲松齢の誕生地で、書斎の「聊斎」で蒲松齢74歳の絵が展示されている。陳列室には、蒲氏家系図、蒲松齢の書と各書物及び英語版、ロシア語版、日本語版、フランス語版など各版の聊斎志異などが展示されている。
聊斎園は蒲松齢故居の東側にあり、中には、蒲松齢芸術館、狐仙園、石隠園、満井寺、柳泉、蒲松齢墓、聊斎宮などがあり、聊斎の物語をテーマ(許仙、画皮など)として設計されれた。色々な芸術手段を利用して、聊斎志異の物語にある主人公などのことを反映している。蒲松齢墓地は蒲家荘の東にあり、蒲松齢とお父さんと孫も一緒にここに埋葬された。「蒲松齢柳泉先生の墓」という石碑が建てられている。
(シ博) 中国陶磁館 と中国国際陶磁博覧会 無料
シ博陶磁器概要:緇博は中国で重要な陶磁器の産地の一つで、陶磁器文化は古く、8000年の歴史を持っている。国内外でよく知られ、鮮明なる地方特色がある。2012年に緇博市陶磁業販売収入75億元、従業人数約7万人。世界70カ国或は地区に輸出し、輸出額約9000万米ドル。全国五大日用陶磁生産基地の一つと三大建築陶磁生産基地になっている。
陶磁器博覧会概要:中国陶磁器文化を広げ、対外交流と合作を拡大し、経済発展を促進するために、中国(緇博)国際陶磁博覧会を開催することになった。博覧会内容:日用陶磁産品・美術陶磁産品・建築陶磁産品・工業陶磁産品・衛星陶磁及び便器類など・園林陶磁産品・陶磁機械及び設備・陶磁原料顔料など・瑠璃製品・陶磁生産新技術及び新工芸など。
中国陶磁館:中国陶磁館は2002年8月31日開館、中国最大なる陶磁類展覧館である。展示品2000余点、中に古代展品233点(故宮博物院から21点、
中国陶器協会から26点を借りている);現代展品1700余点。序庁・古代陶磁展示庁・現代陶磁庁・高科技陶磁展示庁などに分かれ展示。
交通及び見学: www.lailaichina.com
来来中国の手配で、青島から緇博まで専用バスで約3時間(済青高速道路利用)、または2012年開通した高速新幹線(高鉄、動車)で、シ博駅降りる。陶磁館、陶磁生産工場見学及び業者と交流会などが手配できる。
(シ博) 古城巡りー周村古商街
数百年を経っても、陸上の埠頭が昔のまま保存される、中国生きてる古商業建築博物館を称される。清と民国時代は商業が非常に繁栄で、紡績と捺染が有名。
山東省中部にある斉国の古都・緇博の手工業と商業の歴史は春秋五覇の斉桓公時代に遡る。名昔の繁栄ぶりは、いまでも周村という地方の「古商城」で窺える。
清の時代、乾隆皇帝は江南を巡行して、周村の商業の繁栄ぶりに驚き、「天下第一村」と絶賛した。1904年、周村は山東省の県庁済南と一緒に、中央政府に「商業の町」に認められた。銭荘(昔私営の金融機関)、シルクの専門店、紺屋、茶屋、薬局、骨董屋、質屋など、道にずらりと軒を並べ、周村発祥の多数の店は全国チェーン(商号)を展開することに成功した。
今でも、昔のままの青い瓦に赤壁や灰色のレンガに土壁の建物が立ち並ぶ道に佇むと、まるで昔の商人が売買する声や冴えた琴の音が耳に聞こえそうだ。
2013年、近くに高級ホテルが建設される。