Lai Wu /
ライブ / ライウー
莱
蕪
済南から高速で2時間、110キロ。
詳細は 来来中国自作 青島地図
山東省地図日本語版
地理
莱蕪市は山東省中部に、泰山の東麓に位置している。東はし博市を、西南は泰安市、北は省都・済南市に接している。面積2,246平方km、地形は東から西へ傾斜し、北、東、南の3面はまた盆地の中部に向って傾斜している。市域の山脈の北部は泰山山脈で、南部は徂徠山支脈が東西に走っている。市域の河川はもん河とし河の両水系があり、大小400条近くの河川がある。気候は暖温帯湿潤で、なかば大陸性湿潤モンスーン気候である。年平均気温12.5℃、年平均降雨量761mm、霜が降りない期間は196日。莱蕪市の自然は資源が豊富で、鉄、銅、金、鉛、石炭、アルミニウムなどの鉱物を産する。鋼城区には莱蕪鋼鉄集団有限公司という大規模な鋼鉄企業がある。農業では、ネギ、ショウガ、ニンニクを豊富に産出するため、「三辣郷」の異称を有す。
莱蕪市は山東省の中部に位置し、面積が2246平方キロメートル、人口が124万人あります。2009年、全市の総生産額が461億元で、12.5%増加し;地方財政収入が32.7億元、8.1%の増加になり;固定資産投資額が261億元で、23.3%増加し;投資誘致額が92億元で、実際の利用額が8887万ドルになっています。都市部住民の平均支配収入が18943元、農村部の平均純収入が7317元になり、それぞれ10%と10.1%増えています。輸出入総額15.7億ドルのうち、3.3億ドルが農産物輸出によるものであり、122%増加しています。
紀元前567年(斉霊公十五年)、斉霊公によって滅ぼされた莱子国の国民の一部が現在のし川西南部に逃れ、この荒れ果ていた地を莱蕪と命名しました。1983年に莱蕪県が莱蕪市に、さらに1992年には地級市に昇格しました。今の莱蕪市は二つの行政区(莱城区・鋼城区)や三つの省級経済開発区(ハイテク開発区、莱城工業区、鋼城開発区)、一つの観光区(雪野観光区)と20の郷鎮を所轄しています。
莱蕪市は地理条件に恵まれている都市であり、省都済南に隣接し、省都都市経済圏内にあります。市内に2本の鉄道と3本の高速道路が走り、高速道路密度としては山東省で先頭に立っています。済南遥きょう空港まで104キロメートル、特に済青高速道路南線が莱蕪市を貫通するお陰で、わずか1時間で済南に到着でき、「1時間で天に上れ、2時間で海に入れる」と噂されます。
莱蕪は産業優勢が著しく、「緑色鋼城」と褒められ、鋼鉄産能が2000万トンになり、中国規模最大、規格最多のH型鋼生産基地や山東省鋼鉄生産・再加工基地であります。市内に61のハイテク企業が集まり、308の省以上重点科技計画項目を引受け、粉末冶金、高効率減水剤、超高分子ポリエチレンの産能が
中国首位で、山東特色新材料産業集合区、国家新材料産業化基地になっています。「泰豊」紡績商標が世界生産力大会によって「中国十大世界影響力を持つブランド」に認定され、製品の高支高密綿生地が「
中国有名商標」に選ばれました。農業の面においては、グリーン・有機生姜、大蒜生産を特色とし、年間生産額が50万トン余りになり、中国の「生姜の郷」、「唐山椒の郷」や「黄金蜜桃の郷」と褒められ、省級農業ハイテク産業模範区であります。莱蕪市の鉱物資源が豊で、特に石炭や鉄鉱の埋蔵量が目立ち、華東地区で重要な石炭と鉄鉱石の生産基地の一つであります。花崗岩の貯蔵量が10億立米以上に達し、「莱蕪黒」花崗岩板材が国際市場で「珍品」と褒められています。
莱蕪は生態資源も豊で、平原、丘陵、山地が全市を三分し、雪野湖、九竜大峡谷、蓮華山などの重点生態観光地や「中国生態第一村」の房幹村を持ち、山間部の緑化率が60%以上に達しています。特に雪野観光区は自然条件がよく、山水特色が鮮明で、国際航空体育祭りの永久主催地に選ばれ、2009年10月に第一回
中国国際航空体育祭及び第二回全国航空運動会を成功に主催しました。莱蕪市は相次いで「中国優秀な観光都市」、「国家園林都市」、「国家衛生都市」に評定され、正気と活力に溢れた「
中国航空運動の城」になりつつあります。
莱蕪市は文化雰囲気が濃く、歴史上斉と魯の接する地に位置するせいで、斉文化の「祟実尚新」、「開放包容」と魯文化の仁義道徳を尊ぶ、礼儀人倫を重んずる精神がここで溶け合い、「祟徳尚実、重工厚商」の地域文化気風や莱蕪人の温厚純朴、誠実な精神品格と勤勉勇敢、謙虚包容な性格を育んできました。鉱物冶金文化の歴史が長く、3000年を超える冶金史を持ち、従来
中国重要な冶鐵中心のであります。そして歴史上の軍事重鎮で、成語「一鼓作気」を生む長勺の戦の発生地でもあります。民間文化が豊富多様で、地方劇の莱蕪邦子が度々北京で公演し、錫彫刻工芸が国家非物質文化遺産に認定されています。
日本人観光客はまだ少ないが、
www.lailaichina.com 、
青島案内人 www.an-nai-nin.com が案内する人気スポットは
莱蕪 斉長城
齊魯大峽谷景勝地 | |
雪野湖・雪野景勝地は、莱蕪市の北部雪野郷にあります。雪野湖の面積は二万畝。馬鞍山は雄大で、険しく、懸羊吊鼓山は穏健です。金泥湾は物静かです。雪野旅行区の風貌は立体的に展開されています。ここの特色は、舟遊びをしたり、釣りを楽しんだあとに自然に戻るような気持ちがする 。
|
ショウガ、黒豚
この2つは、日本でも有名。莱蕪生姜は、日本の刺身のがり(紅ショウガ)の材料に良く使われる。
板栗
莱蕪内で長い栽培の歴史を持っていて、『嘉靖莱蕪県志』に「莱蕪の板栗が一番」と言うことを載っている。その主な産地は槐樹郷であり、産量がやく全市の二分の一を占める。大王荘、上遊、茶葉口などの郷鎮でも植えられているが、だいたいヘリやあぜに散らばっている。歴史上から見れば、その栽培量が大きな変化がある。種類は主に明栗、毛栗、紅栗、毛刺栗、紅光、無花栗などがある。
サンザシ
サンザシはまた「山里紅」、「赤果」、「星石榴」をも称されていて、主に「星赤」と「銀赤」二種類がある。清の時代には、埠東一帯に主産されたサンザシは「埠東楂子」として名高い。その後、サンザシは莱蕪市の主な乾果樹木のひとつで栽培されてきたが、ただ山にある畑のヘリやあぜに散らばっていて、牛泉、聖井、高荘、南治、顔荘、城子坂、大王荘などの郷鎮派主な産地になっていた。1970年から、その栽培の地域は次第に平原の郷鎮に広まっていき、サンザシ園を建てて栽培している。その種類は莱蕪黒赤星、大赤星をはじめ、敞口、大貨、小金星などがある。莱蕪黒赤星は埠東村の村民たちは心を込めて長い間を経て、星赤サンザシを選んで育てた優れた品種であり、1985年、山東省サンザシ鑑定会で重点に発展していく品種とされた。1987年、莱蕪市は
中国および山東省のサンザシ発展地になっている。
錫彫刻
莱蕪では、錫彫刻が長い歴史を持っている。その類が煩わしく多く、造型がきれいで、技芸が精緻で、独自な風格を備えている。
明清の時代は莱蕪の錫業の全盛期で、従業者は少なくとも1000もあった。1780年、莱蕪城西関にある代々錫製造を行っている王家は、多種の芸術を総合して、
中国はじめの錫彫刻品――茶道具と酒道具のセット――を創造した。その後、何代の芸術者の努力によって、彫刻工芸はますますあがってきた。それによって作られた三重龍飾り古香炉は、彫飾りが精美で、九龍の造型がいきいきして、雲に乗ったり、珠で遊んだりして、生き生きで舞い上がようとする勢いがある。また、王家の錫彫刻代表作は仙鶴蝋燭立てや、食器、瓶、箱などがある。これらの作品は彫刻に精巧で、珍品とされている。
燕子石工芸品
燕子石すなわち古生物学における三葉虫化石である。三葉虫5億年前の寒武紀に成長していたが、中世代になってから消えてきた、前後とも海洋を3億年も支配していた。泰山山脈における莱蕪の山地方で、ずっと前からこの神奇で珍しい三葉虫化石が発見された。世の移り変わりで、大自然に灰黄色の石板に嵌められていた。生命の最後の感動させる瞬間を保ってくる。その姿はまるで花の蜜を吸い取っている蜂のようだったり、香りを探している蝶のようだったり、空を飛んでいる海燕のようだったり、柳を突き抜けている燕のようだったりしていることから、この化石を「燕子石」と称されている。
中国孔子基金会は1987年から、この燕子石を儒学国際学術検討会の記念品とされてきた。その工芸品は何度も国家の贈り物として国際友人に贈った。最後の皇帝傅儀の弟である愛新覚羅傅傑は燕子石を鑑賞してから快く筆を振るって「
中国三葉虫化石珍宝」という筆跡を残された。有名な画家藩層も燕子石のために詞を題した。「崢エ化石億年沈んで、紛紛として燕残跡に入り、轰然たる地に無辺の火激し、浑沌太古の魂を鋳造する」。