Lin Yi /
リンギ / リンイー
臨沂
バスで 青島から高速道路で
280キロ、3.5時間。済南から高速道路で3.5時間、260キロ。
詳細は 来来中国 自作 青島地図
山東省地図日本語版
2012年、青島海底トンネル、海湾大橋を利用し、臨沂が行きやすくなった。
臨沂は山東省の東南部に位置しています。東は日照市に接し、東南部では黄海に面している。北東は維坊に、北はし博に、北西は泰安に、西は済寧に、南西は棗庄にそれぞれ接している。南は江蘇省で、徐州および連雲港に隣接しています。
市名は沂水(ぎすい)という河川に王羲之故居は山東省臨沂市蘭山区洗硯池街にあり、古典庭園式造りで、敷地面積は約2万平方メートル、建築面積は約300平方メートル。
王羲之は紀元303年に瑯邪(現在の山東省臨沂市)に生まれる。中国では書聖と称えられ、幼少より書を好み、いつも池のほとりで字を練習したので池の水も墨だらけで黒くなったという故事もある。草書・隷書・篆書に長け、特に隷書が有名。在官時代、右軍将軍・会稽内史という官職を務めたことがあるため、王右軍とも称される。
晋の永嘉元年(紀元307年)、4歳の時、王羲之は家族と会稽山(浙江省紹興市)へ引越し、臨沂の故居は仏寺となった。明の正徳年間、この普照寺が改築され、王義之を記念するために、右軍祠を建設された。以後何度かの修復を経て現在に至る。書聖王羲之の碑刻や、拓本、石刻及び著名な書道家の真筆が陳列されている。
中国でも10位以内に入る人口規模を有す行政区、山東省で面積人口共に最大の地級市。
臨沂市は温暖帯大陸性季節風気候に属し、四季がはっきりし、雨量が十分です。臨沂市は蘭山、羅荘、河東と 郯城、蒼山、沂水、沂南、費県、蒙陰、莒南、臨沭県を管轄しています。
臨沂は気候が温和なことから農業や林業に適し、巨大な農業発展基地がいくつも建設されています。中国第三位の卸売市場や、800以上の農産物工場も作られています。
臨沂飛行場、京滬高速道路、ユーラシア大陸橋鉄道と隣り合わせの日照、青島、連雲港と共同して密集した陸海空の立体的交通網を構成し、臨沂の対外連絡を非常に便利にしています。観光資源の豊富な臨沂市は悠久な歴史があり、山東省の重点歴史文化名都市です。主要な名所旧跡は銀雀山漢墓竹簡博物館、沂南漢画像石墓、王羲之の故居、諸葛亮の故居などがあります。
臨沂市は風光が秀麗で、区域内の蒙山は山東省内では泰山に次ぐ第二の高峰で“七十二の険しい峰、三十六の佳境”の名勝です。
本籍地(本貫)とする豪族王氏出身の書家・王羲之を記念した公園や諸葛孔明故居がある。また新中国建国後の十大発見の一つの竹簡孫子の出土した銀雀山漢墓があります。
2012年、兵学博物館を建設中 。来来中国 www.lailaichina.com が最新情報を提供します。
銀雀山漢墓竹簡博物館
入場料:40元
孫子兵法や漢墓が出土した
臨沂必見の観光地!中国軍事史で最も有名な著作『孫子の兵法』と『孫ピンの兵法』が同時に出土した地。新中国十大考古発見の一つに選ばれた。
1972年臨沂市内にある銀雀山漢墓群の発掘のとき出土した竹簡を中心に展示する博物館です。銀雀山漢墓竹簡の発見は 中国近代10大考古発見の一つに数えられました。
本博物館は、1972年に『孫子兵法』『孫ピン兵法』などが出土した銀雀山一号漢墓・二号漢墓のある場所に位置しています。1989年に正式に公開された。
1972年臨沂市内にある銀雀山漢墓群の発掘のとき出土した竹簡を中心に展示する博物館です。銀雀山漢墓竹簡の発見は中国近代10大考古発見の一つに数えられました。
1号墓は紀元前140〜118年、2号墓は紀元前134〜118年と推定されている。大量の遺物が出土しているが、とりわけ重要なのが、大量に出土した竹簡である。「六韜」「尉繚子」等は、唐宋以降に書かれたものであると疑われていたのが、ここの出土により、前漢前期に既に伝世していたことが判明したことである。
また、孫子と孫月賓は同じ人物かどうかについて長く論争しました。ここの「孫月賓(月へんに賓)兵法」竹簡の出土により司馬遷の説を証明しました。
臨沂 王羲之故居 入場料:30元
有名な書聖 王羲之が、山東省の出身だった
王羲之故居は山東省臨沂市蘭山区洗硯池街にあり、古典庭園式造りで、敷地面積は約2万平方メートル、建築面積は約300平方メートル。
王羲之は紀元303年に瑯邪(現在の山東省臨沂市)に生まれる。中国では書聖と称えられ、幼少より書を好み、いつも池のほとりで字を練習したので池の水も墨だらけで黒くなったという故事もある。草書・隷書・篆書に長け、特に隷書が有名。在官時代、右軍将軍・会稽内史という官職を務めたことがあるため、王右軍とも称される。
晋の永嘉元年(紀元307年)、4歳の時、王羲之は家族と会稽山(浙江省紹興市)へ引越し、臨沂の故居は仏寺となった。明の正徳年間、この普照寺が改築され、王義之を記念するために、右軍祠を建設された。以後何度かの修復を経て現在に至る。書聖王羲之の碑刻や、拓本、石刻及び著名な書道家の真筆が陳列されている。
故居の中、晋代の墓も発見され、一般開放している。
臨沂
諸葛亮故居紀念館
入場料:60元
三国志の有名な諸葛孔明が、山東省の出身だった
諸葛孔明故居紀念館は沂南県にあり、敷地面積が2700u、諸葛孔明が生まれたところと少年時代居住した所。沂南県は秦、漢、三国及び晋代が陽都県と称され、諸葛孔明の誕生地である。
『三国志』によると、諸葛亮の祖先は元々が葛の苗字で、原籍が諸県(今の諸城)に属し、その後、陽都に引越し、地元の葛と区別するために、諸葛を苗字とした。
諸葛亮古里紀念館は南向きで、東部には、臨沂諸葛亮研究会理事長が書かれた『望海潮』と言う石碑があり、西側には画像石がある。画像石が諸葛亮の古里から出土したもの。
沂南
北寨漢墓博物館
入場料:50元
山東省沂南県北寨村にある後漢時代晩期の画像石墓である。山東省のみならず、中国を代表する画像石墓である。
1954年山東省文物管理委員会などにより,発掘された。墓室は入り口を南に向け,石材で木造建築を模し,前・中・後室のほか前・中室の東西に各1側室、後室の東に側室と厠があり、石材は石灰岩,石樂岩、砂岩などで、画像石は計42石,墓門の横額(梁)・柱、前・中・後室の横額・柱・壁面に配置された画像は計73幅。精緻な刻線で陰刻したものが多く,ほかに線刻もある。なお,後室天井の一部には文様に朱・緑・黒の彩色が残っている。
沂南画像石墓は墓室構造の精緻さ・画像の素晴らしさもさることながら、当時の建築技術を忠実に反映したものとして、建築学的にも重要であり、当時の社会経済状況,階級矛盾及び風俗人情,法典制度,建築絵画、宗教哲学などを研究するには重要な参考価値を有している。日本の三重県石山古墳出土家形埴輪に線刻で表現された日本最古の斗拱の姿をここにも見て取ることができる。
沂南北寨漢墓博物館は 来来中国
www.lailaichina.com
青島案内人 www.an-nai-nin.com 「書道
歴史 漢墓、画像石」の特別手配で見学できる。
臨沂の観光地リスト
華東烈士陵園 王羲之故居 諸葛亮故里 顔真卿故里 漢画像石墓 臨沂文廟
五賢祠 王祥故里 宝泉寺 集柳碑 顔林 左宝貴衣冠家 漢闕 荀子の墓 馬陵古戦場
王m墓石刻造像 斉長城の穆陵関の遺跡 北溝頭古文化遺跡
臨沂 蒙陰などの特産物