曲 阜
(鄒城 スウジョウ を含む)
曲阜市(きょくふ-し)は中国人民共和国山東省済寧市に位置する県級市。省都・済南からは約130kmに位置する。泗河(泗水)が東から西へ流れている。
周・春秋時代の魯国の故地であるほか、孔子の生地として世界に知られている。曲阜は
中国政府の「国家歴史文化名城」(歴史都市)称号が真先に与えられたほか、1994年にユネスコ世界遺産にも登録された。
曲阜の人口は約60万人(2012年)、うち1/4ほど「孔」の苗字を持つと言われる。
孔子と曲阜
曲阜 春秋時代(紀元前770年〜476年)には魯国の都城で、2400年の歴史を持つ町。偉大な思想家であり、教育家でもある孔子のふるさとで、国務院に歴史文化名城と定められる24ヶ所の一つである。
「史記」によると、ここは神農氏の都、黄帝の誕生の地、少昊の国、商・殷の国、周漢時代の魯の国の都、そして孟子の誕生の地である。市内には112ヶ所の重要文化財保護区がある。また、1994年に「三孔(孔子廟・孔府・孔林)」は、世界文化遺産に指定されました。
孔子廟、孔子府、孔子林があり、「三孔」と呼ばれている。郊外には思想家孟子を参拝しる孟子廟、孟子とその一族のお住まい孟子府、孟子の母のお墓孟母林がありる。それで、曲阜は「孔孟の里」と呼ばれる。
三孔見学の時、孔廟、孔府、孔林の順番で見学したほうがよい。
孔廟(孔子廟)
入場料:三孔セットで、150元。その他、市内カート20元と孔林カート元が必要。合計:190元
孔子廟の大成殿
大成殿前の龍の柱
孔廟(孔子廟)すなわち、「至聖廟」は中国封建王朝が、孔子を祭るところである。曲阜市の真中に位置している。東方建築の特色を持つ広大で雄大な古代建築群である。
北京の故宮と、承徳の避暑山荘とともに、中国の三大古代建築群と称されている。1961年に初の全国重点文物保護単位に、1994年に世界遺産に指定された。
周建王42年(紀元前478年)孔子逝去の翌年に孔子が住んだ3つの部屋をもとにして建てられ、その中に、孔子の衣冠や、礼器などが備えられた。隋代に拡張され、唐代に正殿・廊下など30ヶ所の建築物が増え、明代に現在の規模になった。孔廟の面積は21.8ヘクタールで、南北の長さは1キロ。建造物は、104軒で部屋は446室。古樹は1250本。松や柏が整然と並び、建物は、きらびやかな姿をみせている。碑刻はあわせて2000余りあり、 中国では稀な大型碑林のひとつである。
入場料:三孔セットで、150元。その他、市内カート20元と孔林カート元が必要。
孔府
孔府:すなわち衍聖公府は孔廟のすぐそばにある。孔子の嫡孫である世継ぎの衍聖公の公庁と邸宅で、
中国でもっとも歴史の長い封建貴族荘園です。面積は、16ヘクタールで、庁、堂、楼、房あわせて、463軒、3つの部分、9つの庭園に分けられている。前部は公庁で、中部は邸宅、後部は荘園である。孔子が逝去してから、その子孫はここに住んでいた。宋の時代、東部に官署が設けられ、明代に衍聖公府が設けられた。その後何回も拡張され、前部に広間、後部に居間の公庁と邸宅が一体となった巨大な建築群になっていた。孔府は経済上、
中国でもっとも古く規模の大きい封建貴族荘園で、管理機関が完備し、一定の行政機関を持っていた。
入場料:三孔セットで、150元。その他、市内カート20元と孔林カート元が必要。合計:190元
孔林
孔林の前の神道
孔子のお墓
孔林:宣聖林、至聖林ともいう。孔子及びその子孫一族の墓地である。墳墓は10万余り、各時代の石儀85対、墓碑400、古木約42000本ある2400年の歴史を持つ家族墓地である。紀元前479年、孔子の弟子たちは、孔子をここに葬った。その後孔子の子孫たちは皆ここに葬られ、霊園の面積もどんどん拡大し、明朝後期には、1800畝(15畝は1ha)余りになり、康煕23年に2941,9畝になった。孔林の周囲は5591mで、面積は183,33ヘクタールである。建物は正門、二門、石橋があり、正門以外に並木道、門内に石畳がある。
顔廟 入場料:50元 ( けっこう高い )
孔廟の近くにある。孔子の弟子顔回を祀る場所。顔廟を創建したのは漢の高祖とされるが、その後も歴代王朝は改修を加え、元代に改築し、明代の1594年に重修拡張したのが現在の規模である。 中心の建物は広壮な復聖殿で、内部にはもとは顔回の正装の塑像があったという。東西には顔氏の先人が祀っている。
孔子文化研究院
入場料: 特別手配 無料
曲阜師範大学孔子文化研究院は1993年3月に設立され、前身は1979年に設立された孔子研究室である。孔子・儒家思想研究、
中国伝統文化教育、国際文化、学術交流を行う学術機構である。孔子・儒学研究においてハイレベルの研究を行っている。
研究院の学術書籍は10万冊に及び、「四庫全書」、「四部叢刊」等の巨作もある。図書館蔵書130万冊を持ち、ほとんど儒家思想や
中国文化の専門書である。学術交流を促進するために、孔子・儒家思想のフォーラムを数回も主催する。
来来中国
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の特別企画「孔子の足跡を追う旅」など、ここの見学、交流が入っている。
周公廟 入場料:50元 ( けっこう高い )
河南の洛陽、陝西の岐山にもあるが、ここ曲阜にも、周公廟がある。曲阜の東北にあり、全称は文憲王廟。もともと漢代の宮殿の場所にある。
面積は28000u。明清建築は57軒、坊門に「経天緯地」、「製礼作楽」が刻まれ、周公の功績を讃える。元聖殿は周公廟の中心で、周公と伯禽彫塑がある。
周公は、周初の政治家。文王の子。姓は姫(き)、名は旦(たん)。兄の武王を助けて殷を滅ぼし、その死後、幼少の成王を補佐して周の基礎を固めた。孔子は礼を整備した聖人として尊敬し、後世、先聖とあがめられた。魯の開祖で周公は文王の第四子で、次兄・武王の補佐を勤め、さらに武王の少子(年少の子)の成王を補佐して建国直後の周を安定させた。太公望や召公奭と並び、周建国の大功臣の一人である。周が成立すると曲阜に封じられて、魯公となるが天下が安定していないので魯に向かうことはなく、嫡子の伯禽に赴かせてその支配を委ね、自らは中央で政治に当たっていた。
孔子が周公をとても敬う。周公は曲阜へ来ていないが、曲阜と深い縁がある。
尼山 ・夫子洞 入場料:50元
尼山書院
孔子誕生の夫子洞
尼山は曲阜からバスで約50分、曲阜(きょくふ)の南辛鎮にある、孔子の出身地。尼山の東麓には孔子誕生の夫子洞があり、中峰の東麓には孔子廟と尼山書院などの建築物がある。五老峰や魯源林、智源渓、観川亭、白雲洞などの「尼山八景」もあって、静かで美しい景観が広がる。
曲阜市文物観光局によると、2012年8月より、孔子孟子文化遺産地区の保護に世界銀行の融資を利用し、尼山文化遺産保護プロジェクトを行い予定。尼山孔子廟など建築の修繕、山の補強、古木保護などに使われる。
足を伸ばして、孟子のふるさと、鄒城
スウジョウへ
(バスで40分)
孟子廟 孟府 孟子林 入場料:90元
曲阜からちょっと足を延ばして、バスで40分ほど、日本でも有名な故事:「孟母三遷の教え」の舞台
鄒城
孟子の故郷に着く。曲阜から28キロで、鄒県の南関にある。孟廟は亜聖廟ともいい(亜は次の意)。
中国では、孔子に次ぐ人物であるとされ、「亜聖」とよばれる。孟廟は、代々孟子を祭ってきたところ。
孟子は幼少の時父が亡くなり母の手で育てられました。母が孟子の教育のために三度も住居を引越した「孟母三遷」や,織っている布を断って学問の中絶を戒めた「孟母断機」の逸話は有名です。
北宋の景祐4年(1037)、孔子の45代の孫である孔道輔が、四基山で孟子の墳墓を探しあて、その傍らに孟子廟を建立したが、県城から遠くて不便なため、宣和3年(1121)に現在地に移した。
孟府は鄒県の南関、孟廟の西隣にある。
孟子の直系の子孫が暮らしてきたところで、造営年代は不詳であるが、孟廟が移設された北宋の宣和3年(1121)から間もないころと思われる。元の至順2年(1331)に孟子が鄒国亜聖公に封ぜられたので、亜聖府と呼ばれ、明代にかなりの規模に達した。
表側が役所で大堂が中心、その奥が住宅で典型的な四合院のつくりである。
孟府の漢代の刻石がある。莱子候刻石はその中で一番貴重なものです。
中国書道発展の中で非常に重要な地位を占めている。
孟母(もうぼ)三遷(さんせん)の教え
《「古烈女伝」母儀・鄒孟軻母から》孟子の母は、はじめ墓場のそばに住んでいたが、孟子が葬式のまねばかりしているので、市場近くに転居した。ところが今度は孟子が商人の駆け引きをまねるので、学校のそばに転居した。すると礼儀作法をまねるようになったので、これこそ教育に最適の場所だとして定住したという故事。教育には環境が大切であるという教え。また、教育熱心な母親のたとえ。三遷の教え。
鄒城市博物館 入場無料
鄒城市博物館は壮大な建物で、面積24500平米、建坪12500平米、4階立て、地下1階は文物倉庫。11の展示ホールに、歴前文明、青銅器、石刻芸術、鄒城文物など。特に有名なのが北朝摩崖石刻拓本など。3階では亜聖孟子生涯を説明する。
日本でも有名な東嶧山刻石、莱子候刻石原石も来来中国
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の手配で見られる。
日本でも有名な 左
東嶧山刻石 右 莱子候刻石
元々孟子廟においたが、いまは鄒城市博物館に搬入。カバーで保護される。