Zao Zhuang /
ナツメショウ / ザオジュアン
棗 荘
済南から泰山経由で、高速で3時間、250キロ。
詳細は 来来中国自作 青島地図
山東省地図日本語版
棗庄市は山東省の南部に位置し、5区、1県級市を管轄します。総面積が4550平方キロ、総人口が372万です。省級のハイテック産業開発区一ヶ所、省級の経済開発区6ヶ所があります。棗庄市は石炭の資源が豊かで、国家に認定された7大石炭化学工業基地の一つとして石炭化学工業が著しく発展しています。今、国家石炭化学工業のプロジェクト研究センターが完成され、新型石炭ガス化、化学工業など分野でたくさんの国際特許技術と研究成果を持っています。棗庄市は年間降雨量が1000ミリ余りで、長江の北部の最大の国家湿地公園があり、省内の京杭運河が100キロ近く、今も唯一のよく残されている明清時代の河床、埠頭があり、まさに「江北の水郷、運河の古城」です。棗庄市は
中国中小マシンツール製造業基地、特色のある農産品加工基地でもあります。
棗荘市の投資環境 棗荘市は山東省南部に属して、魯南経済圈の中心都市の一つ、有名なエネルギー、石炭化工、建築材料基地である。棗荘市は地理位置がよい、四方八方に通じている交通ネットワークを持っている。蘇州上海揚子江三角経済圏と渤海周り経済圏を繋がって、欧亜大道路、京杭大運河、京滬鉄道、京滬高速鉄道の交差点である。
棗荘市は歴史が長くて、文化資源が多い、7300年間の始祖文化、2700年間の運河文化と130年間の工業文化を持っている。棗荘市は近代工業の発祥地であり、
中国歴史上一番初めの株券がここで出たのである。
棗荘市台児荘区は中国台湾事務弁公室の許可を取って、全国初めの海峡両岸交流基地である。
棗荘市(そうしょうし)は中国人民共和国山東省に位置する地級市。
日中戦争では台児荘の戦いが勃発した場所である。このほかに映画『鉄道遊撃隊(zh)』で日中戦争の取材地となった。
地理
棗荘市は山東省南部に位置し、江蘇省徐州市に隣接する。
石炭の開発が盛んだったが最近では石炭が枯渇してきており、加えて、都市の地下は空洞部分が多いことから地盤沈下が激しく、市政府は現在、元々あった場所から移転している。
新都市建設プロジェクトは2000年5月18日に正式に発表されて以来、累計6.6億元投資された。2010年までに棗庄市の市クラスの機関は全て新城区に移転し、新都市の面積は10平方キロメートルになり、居住人口は10万人になる。新城区と薛城区、高新区が新都市の中心となる。
行政区画
現在、5つの市轄区と1つの県級市が存在する。
5つの市轄区は次の通り。市中区 山亭区 い城区 台児庄区 薛城区
県級市:滕州市・・・戦国時代の思想家、墨子の故郷と言われている。
棗荘のシーズンは、毎年3月〜6月と9月〜11月で、夏は石榴の花が満開で、秋には石榴がぎっしりと実ります。これらの時期が観光客の多いときです。毎年12月から翌2月までは寒く、7、8月は暑くオフシーズンとなります。
日本人観光客はまだ少ないが、
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青島案内人 www.an-nai-nin.com が案内する人気スポットは
棗荘運河観光区
抱犢固国家森林公園
嶧城万ム 石榴園旅游区 ザクロが超有名
台児荘【だいじそう】
台児庄区(たいじしょう-く)は山東省棗庄市に位置する市轄区。北京と上海を結ぶ鉄道幹線の京滬線(かつて津浦線と呼ばれた)上にあり、棗庄と結ぶ台棗支線と、濰坊と結ぶ台濰支線はここで分かれる。また大運河が町の背後に流れており水上交通でも便利である。
水陸の幹線が交わる位置関係から、清代には船舶の往来が多く「天下第一庄」と呼ばれる商業の町であったが、のみならず軍事上でも要地であった。
町の主な観光地には、台児庄の戦いを記念する台児庄大戦紀念館、戦史陳列館、清真寺(イスラム教寺院)、李宗仁史料館、賀敬之文学館などがある。周囲は農村地帯であるが、現在は機械工業や繊維工業・食品工業のほか、石炭や石灰岩の採掘が盛ん。
台児荘の戦い(たいじそう/だいじそうのたたかい)、日中戦争中の1938年春には津浦線の打通を目指して山東省から南下し徐州へ進んでいた日本軍は台児庄で国民党軍の頑強な抵抗にあい撤退を強いられた。徐州会戦の序盤におけるこの戦い(台児庄の戦い)は、
中国では「台兒庄大捷」(台児庄の大勝利)とも呼ばれる。「抗戦以来の大勝利」を宣伝したことでも知られる。
観光地は、台児庄大戦紀念館、李宗仁史料館、賀敬之文学館、清真寺、戦史陳列館等。
抱犢固国家森林公園 | |
滕州微山湖湿地紅荷旅游区 | |
熊耳山国家地質公園 | |
嶧城万ム
石榴園旅游区 台児庄大戦紀念館、李宗仁史料館、 |
薛国故城
滕州にあり、棗荘市内から50分ほどです。中国現存するもっともいい故城の一つです。
滕州は墨子の故郷であると主張している。孔子の故郷・曲阜市や孟子の故郷・鄒城市にも近く、儒教の影響が色濃く教育熱心な土地柄である。
上古および周代のこの地には滕、薛の各諸侯国があった。滕の首都・滕城は現在の滕州市街地の近くにあり、薛の首都・薛城の遺跡は滕州市南30kmほどの場所に現存する。
巴桃杏
巴桃杏は山亭区の名産で、主に山亭区辛召郷土山頂村に集まっていて、市内までやく30キロがある。土山頂村は翼雲山と石咀子ダムの間に位置おいて、きれいな自然環境に恵まれている。何数十年もめに、ほかの村でもこの巴桃杏も植えられていたが、残念なことに、切られてしまった。、山の頂上にある上に、交通も不便のため、この村に植えた巴桃杏しか保存されてこなかった。今日になって、400ムーあまりにも増えてきた。その特色は、熟れた杏が風に揺られても落ちられないようで、手で摘まないと取られない。その色が黄色くて紅色も帯び、その果肉がうまくて味がよくて、栄養も豊富である。それに、杏実が苦味もなくて、毒性もないため、食べられるが、その味があっさりしている。今、区、郷の政府は積極的に対策を採って、土山頂村を巴桃杏の栽培する専業村になる用と努力している。村の住民たちも計画的に翼雲山の山坂にこの杏の栽培を拡大している。
胡桃:
胡桃も山亭区の伝統的な栽培の一つで、区内で各郷鎮でも植えられ、主に山坂、段々畑、畦などにあるが、庭にもある。山亭区の胡桃は品質もいいし、味もおいしいし、たいへん人気がある。その特徴としては主に、外殻が薄くてむきやすい。その実は色がきれいでこうたくもあり、栄養上からも利用価値も高い。70年のはじめ頃、山亭区の住民たちは協力で区内で一番大きい胡桃園――「銀山胡桃園」――を建てて、2500ムーも占められた。80年内になると、多くの請負人は自らサンザシ、桃、杏など収穫量が多き、経済利益も著しい果樹に植えなおした。こうして、胡桃は次第にほかの果樹に取って代わられてくるようになる。だから、今区内では、胡桃の多く集まっているところが稀であって、たいていちらばらして植えられている。
嶧県石榴
ザクロ
石榴はもともと「安石榴」と称されている。「博物志」にろると、石榴はもともとイラク、アフガニスタン一帯に産した。漢の時代に、張騫が公使として西域(今敦惶西北以西をいう)へ行ったとき、「塗林安石榴を得り帰り」。石榴は忠文アジア
中国に伝えられたときからもう3000年もたった。嶧県で石榴を栽培してきた歴史も300年以上もあって、「天下第一」、「世界でも稀」と言われるほどである。本地の有名な土産果物としてたいへん人気がある。石榴にも大青皮、大馬歯、謝花甜などのような種類によって形も味もぜんぜん違っている。たとえば、大青皮があまりきれいではなくと見えるが、保存しやすい。同じ大紅皮でもすらっぱなものと甘いものと分けられる。お客様、買うときによくご注意ください。
さくらんぼ
山亭区がさくらんぼを栽培するのは長い歴史を持っている。だから、さくらんぼは多く植えられ、それに幅広い。おもに、水川、馮卯など郷鎮にある。その種類は主に
中国紅さくらんぼ、大さくらんぼ、竜宝さくらんぼとウクライナさくらんぼなどがある。その主な特色は、果実が透明で、色が鮮やかで、果肉が濃くて、味が甘いということである。それに、蛋白質、アミノ酸、ビタミンやミネラルなどが多く含まれている。特に、鉄の合有量が果物で一番高い。水泉郷石戸峪村には、40年以上のさくらんぼ木がある。その樹冠の面積早く0.1めーを占めて、年産量は350キロ以上もあったため、「さくらんぼの王様」とも称されている。